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煙を残す 豊後森機関庫 Part.1
少し間があきましたが、九州編最終回
写真が多いので2回にわけます
大分県玖珠郡玖珠町 豊後森機関庫
1934年(昭和9年)11月15日、久大線の全線開通とともに完成。
1945年(昭和20年)には米軍戦闘機からの攻撃を受け、この機関庫の機関士や従業員など3名が亡くなりました。
右上の方で壁が欠けているのがその時の弾痕でしょうか?
最盛期(1940年代後半)には21両もの機関車が配置されましたが、
1970年(昭和45年)9月30日、久大線の無煙化により蒸気機関車は廃止。
新しくディーゼル車が導入されたことにより、1971年(昭和46年)に機関庫も廃止。
その後、JR九州のものとなりましたが、2006年(平成18年)3月に玖珠町が機関庫と敷地を買収。
保存会の結成や文化財への署名運動なども行われ、地元の皆さんの保存への思いが伝わってきます。
私が行った2014年8月には、「機関車が来る!」のポスターも街に貼ってありました。
今年2015年の7月頃に、機関車が移設されるそうです。
この時は玖珠町役場で、行政財産使用許可書をもらい、さらにヘルメットを貸していただき、内部の撮影を行うことができました。
これを書きながら調べてみると、現在は少し周りの様子が違っていて、公園としての整備が進んでいるようです。
老朽化のため建物への進入ができない、とのことですので、現在も許可がもらえるかどうかはわかりません。
この装置は転車台(ターンテーブル)といい、この上に機関車を乗せて目的の方向へ回転していました。
そして、この転車台から放射状に延びたレールに沿って機関庫に格納したそうです。
丸いライトがカワイイ
中に入ってみると、このようなものがいくつもあります。
機関車の煙突から出る煙を排気するためのものです。
機関車の煙で、天井も黒いままになっています
誰が置いたの?この軍手
Part.2に続く
写真が多いので2回にわけます
大分県玖珠郡玖珠町 豊後森機関庫
1934年(昭和9年)11月15日、久大線の全線開通とともに完成。
1945年(昭和20年)には米軍戦闘機からの攻撃を受け、この機関庫の機関士や従業員など3名が亡くなりました。
右上の方で壁が欠けているのがその時の弾痕でしょうか?
最盛期(1940年代後半)には21両もの機関車が配置されましたが、
1970年(昭和45年)9月30日、久大線の無煙化により蒸気機関車は廃止。
新しくディーゼル車が導入されたことにより、1971年(昭和46年)に機関庫も廃止。
その後、JR九州のものとなりましたが、2006年(平成18年)3月に玖珠町が機関庫と敷地を買収。
保存会の結成や文化財への署名運動なども行われ、地元の皆さんの保存への思いが伝わってきます。
私が行った2014年8月には、「機関車が来る!」のポスターも街に貼ってありました。
今年2015年の7月頃に、機関車が移設されるそうです。
この時は玖珠町役場で、行政財産使用許可書をもらい、さらにヘルメットを貸していただき、内部の撮影を行うことができました。
これを書きながら調べてみると、現在は少し周りの様子が違っていて、公園としての整備が進んでいるようです。
老朽化のため建物への進入ができない、とのことですので、現在も許可がもらえるかどうかはわかりません。
この装置は転車台(ターンテーブル)といい、この上に機関車を乗せて目的の方向へ回転していました。
そして、この転車台から放射状に延びたレールに沿って機関庫に格納したそうです。
丸いライトがカワイイ
中に入ってみると、このようなものがいくつもあります。
機関車の煙突から出る煙を排気するためのものです。
機関車の煙で、天井も黒いままになっています
誰が置いたの?この軍手
Part.2に続く